被災地からの語り

子育て中の方だからこそ、分かることがあります。

被災経験を語ることは、当事者の方にしかできない

「子育て支援」だと考えています。  

 

インターネット無料相談のページを見つけてくださり、5月からご相談をお受けしている熊本はなこさんが「ばななくん」(2歳)と「ちぇりーちゃん」(被災当時、生後2か月)の2人のお子さんを抱えて被災された当時のことを振り返り、連載(不定期)を始めてくださることになりました。

 

はなこさんの文章は、とても心に響きます。

 

熊本より願いを込めて by 熊本はなこ

目次:

第1回 プロローグ

第2回「備えのはじまり」

第3回「備えのススメ  行動計画表」

第4回「震災から3か月」

第5回「楽しく生きる 楽しく備える」

第6回「震災と情報」

第7回「良かったこと 楽しいこと」

第8回「バナナの変化」

第9回「歴史」

第10回「震災から半年」

第11回「ペットとアレルギー」

第12回「アトピー」

第13回「予防接種」

第14回「震災ゴミ」 

第15回「ゴミ」

第16回「メガネ」

第17回「お久しぶりです」

第18回「薬」

第19回「温度差」

第20回「後悔」

第21回「お勧め図書」

第22回「防災教育2」

第23回「連絡」

 

ぜひご意見、ご感想がありましたら、問い合わせフォームからお寄せ下さい。

 

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<第1回> 熊本より願いをこめて 〜プロローグ〜

災害はいつ・どこで・どんな形でおこるかわかりません。「熊本でも地震が起こるかもしれない。でも子供が小さい今は勘弁してほしい。せめて二人が小学生になったくらいならばなんとかなるだろうか。」

看護師をしており、災害救護についても少しであったが学習したことがあったため、病気も事故も災害も決して他人事ではなく、災害への備えをしつつそう願って過ごしてきました。しかし願いは叶わず、息子の「ばなな」が2歳、娘の「ちぇりー」は2ヵ月だった4月に熊本地震が起こりました。

 

 

地震から1か月ほどたっても収まらない余震の中、ある日押入れの中の紙袋がガサガサと音を立てた時にばなながこれまで見たことがない顔をして私に猿のようによじ登りギャーギャー言って怯えました。地震が起きた直後から何度も抱きしめて何度も「大丈夫。」と言いましたが、その時のばななの怯え方は可哀想なくらいでした。 

 

 

外にでると近所の方が「大変だったでしょう。」と声をかけて下さるがセットで「子供の心のケアが大事よ。」と言われ、優しさの言葉とわかりつつも「これ以上どうしたらいいの?!」とどこにぶつけたらいいのかわからない苛立ちを感じていました。

 

そんな時に丸目さんのホームページにたどり着きました。ただ誰かに聞いてもらいたかった苛立ちをぶつけたメールに丸目さんは丁寧に答えて下さり、私の気持ちに意味をつけて気持ちのもっていき方を教えてくださいました。

 

地震からもうすぐ3か月。私は余震をとめることはできないし、子供二人を抱えて益城や阿蘇にボランティアに行くこともできません。今はこの地震に対して無力に近いです。

 

けれど、この地震から学んだことや反省したことを発信することでこの先どこでどんな形で起こるかわからない災害に対して「防災」や「減災」に役にたてて頂ければ、起こっては欲しくない災害時に「あぁもっとこうしておけばよかった」と後悔する人が一人でもいなくなれば・・・。そう願いを込めて、少しずつ今回の地震から見えたことをお伝えしたいです。

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<第2回> 備えのはじまり

私が災害への「備え」を始めたのは、東日本大震災があった時でした。現地へ救護に行った友達が被災地の生々しい現状を話し、帰宅後すぐに非常袋を作ったという有難い話を聞かせてくれたからです。けれど結婚後は「大人二人だし、なんとかなる」と思い、いつの間にか危機感を忘れてしまっていました。

 

 そんな私がまた「備え」を始めたのは、ばななが3か月頃だった明け方にスマートフォンがけたたましい音をたて「地震です」と伝えました。震源地から離れていたため、通知のあとにそこまで大きくはない揺れがきました。実際に揺れだす前に「どうしよう。なんにも備えていない。」と後悔がやってきました。そしてとても怖かったです。「大きな地震がきたら、私はどこにどうやって避難してどうやってばななを守ればいいのだろう。」そう思いながら過ごした母となって初めての地震でした。

 

 翌日から私は夫がびっくりするくらい災害時について話たり、非常食をそろえたりしました。そしてこの備えは非常食の賞味期限と引っ越しの度に更新するのが我が家の(正確にいうと私の)大切な恒例行事となりました。

 

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<第3回> 備えのススメ 行動計画表

今回の地震が起きた時、我ながらとても冷静でした。夫が帰宅して一緒に過ごしていた時だったこともありますが、なにより次の行動がわかっていたからだと思います。

 

 我が家の玄関には災害時の行動計画表が貼ってあります。変な家族だと思いますよね。というのも、独身時代に働いていた病院で災害委員をしており「災害が起きるとパニックになる!」という心得があったのと委員会活動で「災害時のフローチャート」を作成していたからです。そして私の夫は災害時には必ず出勤する職種です。なので夫がいない時に何が起きてもいいように、そして夫と連絡がつかなくなっても再会できるように行動計画表を作ってあるのです。文字にすると「行動計画表」だなんて固いですが、簡単な手書きのメモです。このメモひとつで、自分がすることがわかり、そしてメモを作るときに「これは大切!忘れないようにしないと!」と考えることができるのでお勧めです。

 

 我が家流の計画表はこんな感じでした。

避難所三か所

子どもたちをどうやって運ぶか

何を持ち出すか

ガスの元栓を閉める

ブレーカーを落とす

玄関に「避難スミ」を記す

次の非常袋更新日

 

 文字にすると本当に大したことのないものです。けれどおススメです。とくに子供さんがもう自分一人で遊びに行けたりお留守番ができる年齢の方、共働きをされている方、もし子供さんが一人でいる時に何かあったら・・・我が家の計画はまだ大人が子供をしっかり見ておける環境にあるからのものです。お子さんがもう一人で行動されるのであれば、子供たちとしっかり、なにかあったらどこに行けばいいのかだけでも家族の約束を決めておかれるといいと思います。

 

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<第4回> 震災から3か月

あっという間の3か月。あの時2ヵ月だったちぇりーは5か月のぷくぷく赤ちゃんになりました。抱っこ紐にすっぽり入っていた頭もひょっこり顔を出すようになりました。

 

 私の住んでいる街は、震災直後から閉鎖されていた橋も修繕され、閉店していたお店もだんだん再開のめどがたってきて落ち着いた日常をすごせるようになりました。大雨が続いていますが、阿蘇や益城のみなさんいかがおすごしでしょうか?ご飯は食べていますか?お風呂に入れていますか?夜は眠れますか?同じ熊本に住んでいますが、まだまだ阿蘇や益城は別世界です。

 

 震災が起きて私は変わりました。強くなりました。強くなるというと、何が起きても動じないイメージですが、今でもいろんなことに動じています。でも動じた後に「大丈夫、なんとかなる!」と思えたり、「いろんなことが起きる人生だから今を大事にしよう!」と行動的になりました。

 

 それぞれの震災と復興。今はまだ傷跡が深く辛い事もありますが、いつか辛い体験も人生の糧となりますように。「これを乗り越えれたんだから!」と生きるパワーとなりますように。少しずつ立ち上がりましょう。私たちは一人ではないのだから。

 

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<第5回> 楽しく生きる 楽しく備える

「座右の銘は?」と聞かれたら、今は「どんな時でも楽しむ!」です。緊張していても「いやぁー私緊張している!」と、悲しかったらとことん悲しんで、面白いことはたくさん笑う!どんな状況でも楽しむことができたら、怖いものはない!そう思うのです。それができているかは別として・・・ですか。せっかく生きているのだから、楽しまないともったいない!

 

 非常袋をセットするときも賞味期限を確認し「次の春には食べよう!」と思ったり、最近そろえたアルファ米は食べる非常時がきたら「どんな味なんだろう!」と楽しめるようにいろんな味を揃え、もし食べないまま賞味期限をむかえる頃にはそれをもってキャンプに行こうと思います。

 

 震災直後はもちろんそんな余裕もなく、毎日ママバッグの中身を確認したりもって逃げる物を確認していたり常に〈非常事態スイッチ ON〉状態でしたが震災後2ヵ月もスイッチON状態は持ちませんでした。ものすごく心が疲れました。

 

 生きるために備える。けれど、備えてしまったらもう後は楽しく過ごしたいです。

 

 

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<第6回> 震災と情報

熊本地震発生後に「ライオンが逃げた!」というウソの情報が出回りました。私は前震後はライフラインも保たれていたので、気持ちに少し余裕がありました。なので写真の街並みをみて「うわぁー!もうこんなデマを流している人がいる!」と腹が立ちました。その後しばらくすると行き慣れた大好きなショッピングモールが火事になったという情報がきました。地震が起きたのは21時頃でありまだ飲食店が開いており、そして震源地方面だったため私は信じてしまいました。そしてショックでした。「あの大好きなお店が火事になったなんて。どうかけが人がでませんように!」と祈りました。けれど、これもデマでした。これらのデマは全部SNSからの情報です。

 

 友人に聞くと、ラインなどでもウソの情報がたびたび送られてきたそうです。でも情報源はSNSや誰かが言っていたなど不確かなものでした。

 

 余震が多いため小さな余震ではもうエリアメールも鳴らなくなり、テレビの臨時ニュースでも表示されない時期がありました。そんな時に流行ったのは「地震が起きたら震源地と震度を知らせてくれるアプリ」です。けれどそのアプリが示す震源地はピンポイントで「○○店のコンビニ」などと冷静に考えればおかしいと思うようなものでした。けれど「私の家が震源地だった」と本当に落胆し涙する人もいました。

 

 本震の後は気象庁から「津波に注意」と情報がありました。東日本大震災を経験した友人はその情報を知り、私に電話をしてくれ「今すぐ逃げて!!!」と言いました。また海沿いに住んでいた一部の方は混乱し車で海から反対側に避難しようと車を走らせました。しかし道が混んでいたため反対車線を走行。そして事故を起こし、それでも車から降り車を置いたまま走り去ったそうです。

 

 予測もしていなかった地震、そして続く余震。極限状態の心は正しい情報でもパニックを起こします。そして冷静に考えることができないためウソの情報にも惑わされます。だから、このことを教訓にしてほしいのです。きっとインターネットが普及したこの時代、簡単に情報は出回ります。なので、ウソの情報はきっと止むことはないと思います。だから、「震災が起こったらこんなこともあるのか。そしてパニックになるのか。」と心構えをしていてほしいと思います。そしてどこからの情報なのか、「本当にライオンが逃げていたら注意を促すニュースがながれるはず」「反対車線を走ったらどうなるのか。」と少しだけ想像してみてほしいのです。それがとても難しい状態と思うのですが・・・。

 

 そして情報を簡単にシェアしたり拡散できる時代です。「人のためになるのでは??」と指一本で多くの人に情報を届けられる時代です。その優しい気持ちは大好きなのですが、「その情報は正しいのか?」を考えて情報に責任を持って配信してほしいと思います。震災直後に出回った「○○小学校で肉100Kg焼きます!」の情報を信じて「優しい人がいるなぁー」と嬉しく思ってしまいましたから。

 

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<第7回> よかったことと楽しいこと

先日久しぶりに震度5の地震がありました。ちょうどチェリーを寝かせたばかり、バナナはすでに夢の中・・・。久しぶりで「びっくりした」と言うよりも「がっかりした」感じでした。「あぁまだ地震は過去のものではないのか。」と。「忘れた頃に」でもない、「忘れぬうちに」の地震にショックでした。けれど、「東日本もいまでもたまに同じくらい強い地震が起きている。」そう思うと「仕方のない事」と思うことができます。

 

 「私だけじゃない。」熊本・大分、そして東日本といろんなところで同じような気持ちをして精一杯生きている、大袈裟かもしれないけれどそう思うと少し気持ちが楽になります。

 

 こんな時はよかったことを探してみたり、楽しいことをするように心がけてします。地震に気持ちまで崩されては悔しいから!楽しい事、まずは来年度からバナナは幼稚園なので願書をもらいに行きました。この間産まれたばかりのバナナがもう幼稚園♪ワクワクします。

 

 願書をもらいに行った帰り道、近所の方が話しかけて下さいました。「昨日の地震、大丈夫だった?また思い出したよねー。」と。地震が起きてから近所の方やすれ違う人との会話が増えました。「怖かったね。」「びっくりしたよね。」「大丈夫だった?」声をかけてもらうと「一人じゃないんだ。」と、とても嬉しくなります。

 

 だから私も挨拶を意識してするようになりました。特に近所の小学生や中学生には「おはよう!」と言う言葉の中に「頑張ってるね!」と気持ちを込めて。

 

 地震とは関係ありませんが、夏休み明けは子供が一番自殺したくなる日と聞きました。私も学生の頃は、友達のグループ・教室・部活が生きる世界のすべてのように感じて苦しかったこともありました。今苦しい学生さん、道を歩くときはどうか顔をあげてね。君を見守っている人や思っている人は必ずいるからね。

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<第8回> バナナの変化

地震が起こった4月、バナナは2歳3か月。言葉を話し始めた頃で「ジシンこわい。」と、物音がする度にしがみつきに来て、食事の時は足の上に乗ってきていました。その度に「大丈夫。お母さんが守ってあげるから大丈夫だよ。」を繰り返してきました。

 

 気が付くとそれも落ち着き、どんどん言葉を覚え最近では「地震です地震です。了解!了解!」と地震を知らせるスマートフォンの音と父親の口癖を足し、楽しそうに地震ごっこをするようになりました。地震ごっこ、楽しそうにやっているところを見ると恐怖を乗り越えたのかなぁとほっとして見守っていました。

 

 けれど、先日の強い地震(夜に起きた後、翌日の朝の食事中にまた震度4の地震がありました)を体験した後は・・・。また「地震怖い。」が始まり、言葉が増えたせいか「なんの音?お母さん抱っこしてて!」と少し物音がする度にしがみつきます。特に朝の食事中だったためか、食事中に「怖いから抱っこしてて!!!!」と強い口調で言います。

 

 あの時と違いチェリーは7か月になり、離乳食がはじまりました。なので今、ちょっとこれが困っています。ふたりをちゃんと見れていないような・・・。片手はバナナを抱っこして「大丈夫!あれは風の音!」と話し、顔をあまり見ずに食事をチェリーの口に入れる・・・。地震もこの状況も仕方のない事なのですが。

 

 近所に住む6歳の子は、先日の地震の後「外に出たい!」と少しパニックになったそうです。その子の年齢や体験した事でストレス反応も違うと思いますが、益城や阿蘇のこどもたちを思うと胸が痛いです。

 

 心のケアは長期戦と聞きます。長い目で長い目で。今は敏感になっているバナナだけど、大人になって生活する時にはこの体験は生きる力・自信になると信じて。「大丈夫」を繰り返していこうと思います。

 

 

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<第9回> 歴史

歴史は好きですか?私は大嫌いです。何度も克服しようと頑張ってみましたが、頑張れず。あとはバナナが学校に行きだしたら一緒に勉強してみてだめならもう諦めます。

 

 大嫌いな歴史ですが、歴史は生きていく上で大事なことなのだとしみじみ思います。各国との関係や戦争のことなど、とても意味の大きい学問だと思います。今回の地震でも歴史の大切さを知りました。

 

 「毎日揺れる。」地元紙に乗っていましたが、熊本での地震は1000年以上前と、600~700年前にも起きているそうです。(年号が適当ですみません、なんせ大嫌いなもので)その時の書物に「毎日揺れる。家に入れないから蚊帳をもって外で暮らす。火事場泥棒が多い。」とあったそうです。2000回以上の余震・車中泊・盗難、今回と同じ事がずっとずっと昔にあっていたのです。夏休みの宿題には遅いですが、今住んでいる地域の歴史を調べてみることは防災・減災に有効なのだと思います。

 

 私の祖母は90歳で独居をしています。とっても元気でおしゃべり好きな祖母。熊本大空襲と水害と地震、歴史的な出来事を体験しています。その祖母が近所の神社の崩れた石垣をみて「あそこの箇所は水害でも崩れたのよー!」と少し得意げに話していました。

 

 大嫌いな歴史、やっぱり克服したいです。

 

 

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<第10回> 震災から半年

地震から半年。被災後「しじん、こわい。」とこわばった顔をしていたバナナは大きい音が聞こえたり、震災のニュースを見ると、「ねぇねぇいまのくまもとじしん?」と言うようになりました。その表情に余裕があって、ほっとしていると同時に人間の強さを感じています。

 

 被災したショッピングモールやスーパーが再開し当たり前だった生活が帰ってきて、震災の話をすることも少なくなりました。私たちの中でもいい意味で「風化」が始まったのかもしれません。そう思っていた今日、鳥取で震度6の地震がありました。鳥取のみなさん、大丈夫ですか?おけがはないですか?鳥取の方を思うと心が痛いです。

 

 私にできることはなにか。バナナとチェリーが小さい今できることは、私が体験したことや学びを文字にすることと思いました。少しでもなにか役にたてることがありますように。熊本地震後に「備え」をしていた人が一人でも多くいらっしゃいますことを願って。

 

 

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<第11回> ペットとアレルギー

震災が起こるとペットとアレルギー問題は、とても大きな問題となります。新聞への苦情投稿は両者から集まります。「ペットを連れてくるなんで非常識だ!」「ペットも家族なのに・・・。」と。私が見聞きしたのは新聞やニュースだけなのですが、きっと避難所ではお互いにものすごい気を使ったりストレスとなったり、人によってはアレルギー症状に悩まれたことと思います。

 

 私の実家ではイッチャンという室内犬がいます。母にとってイッチャンは子供たちが巣立った後、膝の上で寝かせたり一緒にストーブで暖をとったりちょっとした話し相手だったりと大切な家族です。母曰く「ただかわいがるだけでいい存在」で、イッチャンはちょっとしたお犬様です。私自身はイッチャンとは一緒に暮らしていないのでイッチャンは実家の犬なだけ、けれどイッチャンのおかげで両親が楽しそうにしているのでお犬様様です。

 

 母は震災が起きた時に言いました。「うちにはイッチャンがいるからねぇ。避難所には行けないし。」と。母の中では大切な家族のイッチャンを置いて避難所に行く事はできないし、私の姉は幼少期に喘息発作がひどかったので避難所に集まる方への迷惑を思うと避難所に連れていくこともできないのです。娘としては犬よりも人間の命優先!!ですが、親子でも価値観が違うのです。

 

 避難所には価値観の違う人が集まります。ペットも大切な家族、アレルギー症状は身体的にかなり辛い。(喘息発作などがでる人は辛いだけではないのですが)どうしたらいいのでしょう???私にも答えはありませんが、家族にペットがいる人もアレルギーを持つ人もともに避難し生きていくことが重要だと思います。

 

できることとして、非常袋を準備するときにアレルギー持ちの方はマスクやアレルギーを抑える薬を用意する、ペットを連れて避難したい方もなにか対策はとれるのではないかなぁと思います。

 

 バナナもチェリーも小型犬のイッチャンを追いかけるのが大好きです。ただ残念なことにバナナは犬アレルギーなのです。以前は症状が全くなかったのですが、最近イッチャンと遊ぶと目は真っ赤になり鼻はグジュグジュになるようになりました。私も非常袋の見直しをします。

 

 

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〈第12回〉  「アトピー」

 バナナとチェリーはアトピー性皮膚炎です。少しずつ改善してきていますが、根気よくスキンケアをしています。アトピーのスキンケアの中にお風呂は欠かせません。汗や汚れをおとして保湿剤とステロイド剤を塗布しています。

 

 

 震災後、ライフラインは電気→ガス→水の順番で復旧しました。私は前震後、ライフラインの整った実家に避難したのでバナナとチェリーを毎日お風呂に入れてあげることができました。とてもありがたいことでした。しかし、実家のある場所も一時期大きく揺れていたのでライフラインが途絶える恐怖は強かったです。毎日の積み重ねのスキンケア、積み重ねた分それが崩れないかと不安になりましたが「生きていればそれでいい!また最初からケアしなおせばいい!」と思うようにしました。

 

 

 余震が落ち着き、アトピー外来を受診したときにかかりつけ医師に入浴できなった際のスキンケアについて聞くと「できるだけ体を清潔にすること。入浴できなくとも保湿剤と処方された薬を使用すること。」と話されました。私の避難袋の中にはお尻拭きを多めに入れています。水がなくても体を拭くことができるからです。そして普段使用している保湿剤なども置き場を決めて持ち出すものリストに入れています。

 

 

 たかがアトピー、されどアトピー。自分のことならば我慢できますが、子供が痒そうにし肌が真っ赤になるととても辛いです。

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<第13回>  「予防接種」

   震災が起きた時、チェリーは2ヵ月児でした。予防接種が始まった月です。震災が起こる3週間前に初めての予防接種をしていました。前震後に実家に避難し、今後の予防接種はどうするか悩みました。

 

 住んでいる地域は熊本市内で、ライフラインは途絶えたままでした。かかりつけ小児科は再開したと聞いていましたが、余震も続いていたのでいつ熊本市に帰れるかを決めかねていました。そして、益城や阿蘇の方やけが人でパンク状態の病院を思うと「こんな時に予防接種なんて受けていいのか・・・。」と申し訳ない気持ちになりました。けれど、もしまた大きい地震がきて避難所生活となった場合のことや予防接種を受けずに感染症にかかった場合の後悔、そしてなによりもチェリーのことを思うと受けられる時に受けたほうがいいと思うようになりました。

 

 定期接種の料金は市が負担して下さるため、まずは熊本市役所に避難先で予防接種を受ける方法を問い合わせました。震災直後の市役所に問い合わせをすることはとても心苦しかったのですが、職員の方はすぐに担当先につなぎ丁寧に答えてくださいました。

 

他の地域で予防接種を受けるためには、住んでいる地域の問診票が必要でした。それはFAXや郵便で送っていただきました。そして避難先の小児科に問い合わせ事情を説明し受け入れて頂けることになりました。

 

予防接種の薬剤は病院によって仕入れ先が違い、薬品名が違うことがありますが同じ内容の予防接種が受けられます。しかし、「ロタウイスル」に対する飲み薬だけは注意が必要でした。ロタウイルスの予防接種薬には「ロタリックス」と「ロタテック」の2つがあります。チェリーはロタリックスを使用していましたが、受け入れて頂いた病院ではロタテックのみを取り扱っていたのです。これだけは最初に使用した薬を2回目(もしくは3回目)も使わなければいけないそうです。予約の電話の際に「ロタウイルス」と言ったので、診察の際に医師が母子手帳をみて気づいて頂きそこからまたチェリーのためだけにロタリックスを入荷して頂きました。(心から感謝しています!)

 

市役所の方、受け入れ病院の方に本当にお世話になり滞りなく予防接種を受けることができとても嬉しく、そしてありがたかったです。その日から2か月後、熊本に応援に来てくださった名古屋の保健師さんから電話がありました。「チェリーちゃんの予防接種や3か月検診は受けていますか?」と。予防接種どころではない被災のひどかった地域のかたを思うととても罪悪感が沸いていましたが、やはり予防接種はこれから生きていくために必要なこと。電話を頂きやっと罪悪感が消え、感謝の気持ちだけの予防接種となりました。

 

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<第14回>  震災ゴミ

他県からのたくさんの支援を受け、道に溢れていた震災ゴミはきれいに片付きました。本当にありがとうございました!きれいに片付くまでに2ヵ月ほどかかったと思います。震災が起きてから驚くほどの震災ゴミがあちこちに積まれていました。

一番よく見たのはテレビです。そして棚・壊れた家電製品。見るたびにとても悲しくなりました。運転中に車から見える道路脇の壊れたテレビの山、道を歩いている時に見える家電や置物。昨日までは生活の一部であり、宝物であり、そして購入した当初は誰かの喜びや努力の結晶だったものが「ゴミ」として道にどどどどーんと置いてありました。それを見て過ごすことも辛かったです。 

 

私の周りにもテレビが壊れた人は多くいました。我が家はたまたまバナナが1歳なりたての頃にテレビを叩いていたため、倒れないように耐震シールを貼っていたため無事でした。しかし、テレビ台はロックしていたにも関わらず前震の際に激しく横にスライドしたため配線がぶちっと取れていまいBS放送を見るためのパーツが壊れました。そのくらいのことはどうもないことですが、ロックもしていたけれど想像以上の事が起こったことに驚きました。

防災のために棚や冷蔵庫に耐震用の棒を張ったり、テレビや思い家電には耐震シールを貼ることが勧められます。震災を体験し、これは怪我の予防だけではなく大切なものをゴミとしないことにもつながるのだなぁと感じました。

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子育て中の方だからこそ、分かることがあります。

被災経験を語ることは、当事者の方にしかできない

「子育て支援」だと考えています。  

 

インターネット無料相談のページを見つけてくださり、5月からご相談をお受けしている熊本はなこさんが「ばななくん」(2歳)と「ちぇりーちゃん」(被災当時、生後2か月)の2人のお子さんを抱えて被災された当時のことを振り返り、連載(不定期)を始めてくださることになりました。

 

はなこさんの文章は、とても心に響きます。

 

熊本より願いを込めて by 熊本はなこ

目次:

第1回 プロローグ

第2回「備えのはじまり」

第3回「備えのススメ  行動計画表」

第4回「震災から3か月」

第5回「楽しく生きる 楽しく備える」

第6回「震災と情報」

第7回「良かったこと 楽しいこと」

第8回「バナナの変化」

第9回「歴史」

第10回「震災から半年」

第11回「ペットとアレルギー」

第12回「アトピー」

第13回「予防接種」

第14回「震災ゴミ」 

第15回「ゴミ」

第16回「メガネ」

第17回「お久しぶりです」

第18回「薬」

第19回「温度差」

第20回「後悔」

第21回「お勧め図書」

第22回「防災教育2」

第23回「連絡」

 

ぜひご意見、ご感想がありましたら、問い合わせフォームからお寄せ下さい。

 

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<第1回> 熊本より願いをこめて 〜プロローグ〜

災害はいつ・どこで・どんな形でおこるかわかりません。「熊本でも地震が起こるかもしれない。でも子供が小さい今は勘弁してほしい。せめて二人が小学生になったくらいならばなんとかなるだろうか。」

看護師をしており、災害救護についても少しであったが学習したことがあったため、病気も事故も災害も決して他人事ではなく、災害への備えをしつつそう願って過ごしてきました。しかし願いは叶わず、息子の「ばなな」が2歳、娘の「ちぇりー」は2ヵ月だった4月に熊本地震が起こりました。

 

 

地震から1か月ほどたっても収まらない余震の中、ある日押入れの中の紙袋がガサガサと音を立てた時にばなながこれまで見たことがない顔をして私に猿のようによじ登りギャーギャー言って怯えました。地震が起きた直後から何度も抱きしめて何度も「大丈夫。」と言いましたが、その時のばななの怯え方は可哀想なくらいでした。 

 

 

外にでると近所の方が「大変だったでしょう。」と声をかけて下さるがセットで「子供の心のケアが大事よ。」と言われ、優しさの言葉とわかりつつも「これ以上どうしたらいいの?!」とどこにぶつけたらいいのかわからない苛立ちを感じていました。

 

そんな時に丸目さんのホームページにたどり着きました。ただ誰かに聞いてもらいたかった苛立ちをぶつけたメールに丸目さんは丁寧に答えて下さり、私の気持ちに意味をつけて気持ちのもっていき方を教えてくださいました。

 

地震からもうすぐ3か月。私は余震をとめることはできないし、子供二人を抱えて益城や阿蘇にボランティアに行くこともできません。今はこの地震に対して無力に近いです。

 

けれど、この地震から学んだことや反省したことを発信することでこの先どこでどんな形で起こるかわからない災害に対して「防災」や「減災」に役にたてて頂ければ、起こっては欲しくない災害時に「あぁもっとこうしておけばよかった」と後悔する人が一人でもいなくなれば・・・。そう願いを込めて、少しずつ今回の地震から見えたことをお伝えしたいです。

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<第2回> 備えのはじまり

私が災害への「備え」を始めたのは、東日本大震災があった時でした。現地へ救護に行った友達が被災地の生々しい現状を話し、帰宅後すぐに非常袋を作ったという有難い話を聞かせてくれたからです。けれど結婚後は「大人二人だし、なんとかなる」と思い、いつの間にか危機感を忘れてしまっていました。

 

 そんな私がまた「備え」を始めたのは、ばななが3か月頃だった明け方にスマートフォンがけたたましい音をたて「地震です」と伝えました。震源地から離れていたため、通知のあとにそこまで大きくはない揺れがきました。実際に揺れだす前に「どうしよう。なんにも備えていない。」と後悔がやってきました。そしてとても怖かったです。「大きな地震がきたら、私はどこにどうやって避難してどうやってばななを守ればいいのだろう。」そう思いながら過ごした母となって初めての地震でした。

 

 翌日から私は夫がびっくりするくらい災害時について話たり、非常食をそろえたりしました。そしてこの備えは非常食の賞味期限と引っ越しの度に更新するのが我が家の(正確にいうと私の)大切な恒例行事となりました。

 

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<第3回> 備えのススメ 行動計画表

今回の地震が起きた時、我ながらとても冷静でした。夫が帰宅して一緒に過ごしていた時だったこともありますが、なにより次の行動がわかっていたからだと思います。

 

 我が家の玄関には災害時の行動計画表が貼ってあります。変な家族だと思いますよね。というのも、独身時代に働いていた病院で災害委員をしており「災害が起きるとパニックになる!」という心得があったのと委員会活動で「災害時のフローチャート」を作成していたからです。そして私の夫は災害時には必ず出勤する職種です。なので夫がいない時に何が起きてもいいように、そして夫と連絡がつかなくなっても再会できるように行動計画表を作ってあるのです。文字にすると「行動計画表」だなんて固いですが、簡単な手書きのメモです。このメモひとつで、自分がすることがわかり、そしてメモを作るときに「これは大切!忘れないようにしないと!」と考えることができるのでお勧めです。

 

 我が家流の計画表はこんな感じでした。

避難所三か所

子どもたちをどうやって運ぶか

何を持ち出すか

ガスの元栓を閉める

ブレーカーを落とす

玄関に「避難スミ」を記す

次の非常袋更新日

 

 文字にすると本当に大したことのないものです。けれどおススメです。とくに子供さんがもう自分一人で遊びに行けたりお留守番ができる年齢の方、共働きをされている方、もし子供さんが一人でいる時に何かあったら・・・我が家の計画はまだ大人が子供をしっかり見ておける環境にあるからのものです。お子さんがもう一人で行動されるのであれば、子供たちとしっかり、なにかあったらどこに行けばいいのかだけでも家族の約束を決めておかれるといいと思います。

 

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<第4回> 震災から3か月

あっという間の3か月。あの時2ヵ月だったちぇりーは5か月のぷくぷく赤ちゃんになりました。抱っこ紐にすっぽり入っていた頭もひょっこり顔を出すようになりました。

 

 私の住んでいる街は、震災直後から閉鎖されていた橋も修繕され、閉店していたお店もだんだん再開のめどがたってきて落ち着いた日常をすごせるようになりました。大雨が続いていますが、阿蘇や益城のみなさんいかがおすごしでしょうか?ご飯は食べていますか?お風呂に入れていますか?夜は眠れますか?同じ熊本に住んでいますが、まだまだ阿蘇や益城は別世界です。

 

 震災が起きて私は変わりました。強くなりました。強くなるというと、何が起きても動じないイメージですが、今でもいろんなことに動じています。でも動じた後に「大丈夫、なんとかなる!」と思えたり、「いろんなことが起きる人生だから今を大事にしよう!」と行動的になりました。

 

 それぞれの震災と復興。今はまだ傷跡が深く辛い事もありますが、いつか辛い体験も人生の糧となりますように。「これを乗り越えれたんだから!」と生きるパワーとなりますように。少しずつ立ち上がりましょう。私たちは一人ではないのだから。

 

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<第5回> 楽しく生きる 楽しく備える

「座右の銘は?」と聞かれたら、今は「どんな時でも楽しむ!」です。緊張していても「いやぁー私緊張している!」と、悲しかったらとことん悲しんで、面白いことはたくさん笑う!どんな状況でも楽しむことができたら、怖いものはない!そう思うのです。それができているかは別として・・・ですか。せっかく生きているのだから、楽しまないともったいない!

 

 非常袋をセットするときも賞味期限を確認し「次の春には食べよう!」と思ったり、最近そろえたアルファ米は食べる非常時がきたら「どんな味なんだろう!」と楽しめるようにいろんな味を揃え、もし食べないまま賞味期限をむかえる頃にはそれをもってキャンプに行こうと思います。

 

 震災直後はもちろんそんな余裕もなく、毎日ママバッグの中身を確認したりもって逃げる物を確認していたり常に〈非常事態スイッチ ON〉状態でしたが震災後2ヵ月もスイッチON状態は持ちませんでした。ものすごく心が疲れました。

 

 生きるために備える。けれど、備えてしまったらもう後は楽しく過ごしたいです。

 

 

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<第6回> 震災と情報

熊本地震発生後に「ライオンが逃げた!」というウソの情報が出回りました。私は前震後はライフラインも保たれていたので、気持ちに少し余裕がありました。なので写真の街並みをみて「うわぁー!もうこんなデマを流している人がいる!」と腹が立ちました。その後しばらくすると行き慣れた大好きなショッピングモールが火事になったという情報がきました。地震が起きたのは21時頃でありまだ飲食店が開いており、そして震源地方面だったため私は信じてしまいました。そしてショックでした。「あの大好きなお店が火事になったなんて。どうかけが人がでませんように!」と祈りました。けれど、これもデマでした。これらのデマは全部SNSからの情報です。

 

 友人に聞くと、ラインなどでもウソの情報がたびたび送られてきたそうです。でも情報源はSNSや誰かが言っていたなど不確かなものでした。

 

 余震が多いため小さな余震ではもうエリアメールも鳴らなくなり、テレビの臨時ニュースでも表示されない時期がありました。そんな時に流行ったのは「地震が起きたら震源地と震度を知らせてくれるアプリ」です。けれどそのアプリが示す震源地はピンポイントで「○○店のコンビニ」などと冷静に考えればおかしいと思うようなものでした。けれど「私の家が震源地だった」と本当に落胆し涙する人もいました。

 

 本震の後は気象庁から「津波に注意」と情報がありました。東日本大震災を経験した友人はその情報を知り、私に電話をしてくれ「今すぐ逃げて!!!」と言いました。また海沿いに住んでいた一部の方は混乱し車で海から反対側に避難しようと車を走らせました。しかし道が混んでいたため反対車線を走行。そして事故を起こし、それでも車から降り車を置いたまま走り去ったそうです。

 

 予測もしていなかった地震、そして続く余震。極限状態の心は正しい情報でもパニックを起こします。そして冷静に考えることができないためウソの情報にも惑わされます。だから、このことを教訓にしてほしいのです。きっとインターネットが普及したこの時代、簡単に情報は出回ります。なので、ウソの情報はきっと止むことはないと思います。だから、「震災が起こったらこんなこともあるのか。そしてパニックになるのか。」と心構えをしていてほしいと思います。そしてどこからの情報なのか、「本当にライオンが逃げていたら注意を促すニュースがながれるはず」「反対車線を走ったらどうなるのか。」と少しだけ想像してみてほしいのです。それがとても難しい状態と思うのですが・・・。

 

 そして情報を簡単にシェアしたり拡散できる時代です。「人のためになるのでは??」と指一本で多くの人に情報を届けられる時代です。その優しい気持ちは大好きなのですが、「その情報は正しいのか?」を考えて情報に責任を持って配信してほしいと思います。震災直後に出回った「○○小学校で肉100Kg焼きます!」の情報を信じて「優しい人がいるなぁー」と嬉しく思ってしまいましたから。

 

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<第7回> よかったことと楽しいこと

先日久しぶりに震度5の地震がありました。ちょうどチェリーを寝かせたばかり、バナナはすでに夢の中・・・。久しぶりで「びっくりした」と言うよりも「がっかりした」感じでした。「あぁまだ地震は過去のものではないのか。」と。「忘れた頃に」でもない、「忘れぬうちに」の地震にショックでした。けれど、「東日本もいまでもたまに同じくらい強い地震が起きている。」そう思うと「仕方のない事」と思うことができます。

 

 「私だけじゃない。」熊本・大分、そして東日本といろんなところで同じような気持ちをして精一杯生きている、大袈裟かもしれないけれどそう思うと少し気持ちが楽になります。

 

 こんな時はよかったことを探してみたり、楽しいことをするように心がけてします。地震に気持ちまで崩されては悔しいから!楽しい事、まずは来年度からバナナは幼稚園なので願書をもらいに行きました。この間産まれたばかりのバナナがもう幼稚園♪ワクワクします。

 

 願書をもらいに行った帰り道、近所の方が話しかけて下さいました。「昨日の地震、大丈夫だった?また思い出したよねー。」と。地震が起きてから近所の方やすれ違う人との会話が増えました。「怖かったね。」「びっくりしたよね。」「大丈夫だった?」声をかけてもらうと「一人じゃないんだ。」と、とても嬉しくなります。

 

 だから私も挨拶を意識してするようになりました。特に近所の小学生や中学生には「おはよう!」と言う言葉の中に「頑張ってるね!」と気持ちを込めて。

 

 地震とは関係ありませんが、夏休み明けは子供が一番自殺したくなる日と聞きました。私も学生の頃は、友達のグループ・教室・部活が生きる世界のすべてのように感じて苦しかったこともありました。今苦しい学生さん、道を歩くときはどうか顔をあげてね。君を見守っている人や思っている人は必ずいるからね。

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<第8回> バナナの変化

地震が起こった4月、バナナは2歳3か月。言葉を話し始めた頃で「ジシンこわい。」と、物音がする度にしがみつきに来て、食事の時は足の上に乗ってきていました。その度に「大丈夫。お母さんが守ってあげるから大丈夫だよ。」を繰り返してきました。

 

 気が付くとそれも落ち着き、どんどん言葉を覚え最近では「地震です地震です。了解!了解!」と地震を知らせるスマートフォンの音と父親の口癖を足し、楽しそうに地震ごっこをするようになりました。地震ごっこ、楽しそうにやっているところを見ると恐怖を乗り越えたのかなぁとほっとして見守っていました。

 

 けれど、先日の強い地震(夜に起きた後、翌日の朝の食事中にまた震度4の地震がありました)を体験した後は・・・。また「地震怖い。」が始まり、言葉が増えたせいか「なんの音?お母さん抱っこしてて!」と少し物音がする度にしがみつきます。特に朝の食事中だったためか、食事中に「怖いから抱っこしてて!!!!」と強い口調で言います。

 

 あの時と違いチェリーは7か月になり、離乳食がはじまりました。なので今、ちょっとこれが困っています。ふたりをちゃんと見れていないような・・・。片手はバナナを抱っこして「大丈夫!あれは風の音!」と話し、顔をあまり見ずに食事をチェリーの口に入れる・・・。地震もこの状況も仕方のない事なのですが。

 

 近所に住む6歳の子は、先日の地震の後「外に出たい!」と少しパニックになったそうです。その子の年齢や体験した事でストレス反応も違うと思いますが、益城や阿蘇のこどもたちを思うと胸が痛いです。

 

 心のケアは長期戦と聞きます。長い目で長い目で。今は敏感になっているバナナだけど、大人になって生活する時にはこの体験は生きる力・自信になると信じて。「大丈夫」を繰り返していこうと思います。

 

 

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<第9回> 歴史

歴史は好きですか?私は大嫌いです。何度も克服しようと頑張ってみましたが、頑張れず。あとはバナナが学校に行きだしたら一緒に勉強してみてだめならもう諦めます。

 

 大嫌いな歴史ですが、歴史は生きていく上で大事なことなのだとしみじみ思います。各国との関係や戦争のことなど、とても意味の大きい学問だと思います。今回の地震でも歴史の大切さを知りました。

 

 「毎日揺れる。」地元紙に乗っていましたが、熊本での地震は1000年以上前と、600~700年前にも起きているそうです。(年号が適当ですみません、なんせ大嫌いなもので)その時の書物に「毎日揺れる。家に入れないから蚊帳をもって外で暮らす。火事場泥棒が多い。」とあったそうです。2000回以上の余震・車中泊・盗難、今回と同じ事がずっとずっと昔にあっていたのです。夏休みの宿題には遅いですが、今住んでいる地域の歴史を調べてみることは防災・減災に有効なのだと思います。

 

 私の祖母は90歳で独居をしています。とっても元気でおしゃべり好きな祖母。熊本大空襲と水害と地震、歴史的な出来事を体験しています。その祖母が近所の神社の崩れた石垣をみて「あそこの箇所は水害でも崩れたのよー!」と少し得意げに話していました。

 

 大嫌いな歴史、やっぱり克服したいです。

 

 

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<第10回> 震災から半年

地震から半年。被災後「しじん、こわい。」とこわばった顔をしていたバナナは大きい音が聞こえたり、震災のニュースを見ると、「ねぇねぇいまのくまもとじしん?」と言うようになりました。その表情に余裕があって、ほっとしていると同時に人間の強さを感じています。

 

 被災したショッピングモールやスーパーが再開し当たり前だった生活が帰ってきて、震災の話をすることも少なくなりました。私たちの中でもいい意味で「風化」が始まったのかもしれません。そう思っていた今日、鳥取で震度6の地震がありました。鳥取のみなさん、大丈夫ですか?おけがはないですか?鳥取の方を思うと心が痛いです。

 

 私にできることはなにか。バナナとチェリーが小さい今できることは、私が体験したことや学びを文字にすることと思いました。少しでもなにか役にたてることがありますように。熊本地震後に「備え」をしていた人が一人でも多くいらっしゃいますことを願って。

 

 

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<第11回> ペットとアレルギー

震災が起こるとペットとアレルギー問題は、とても大きな問題となります。新聞への苦情投稿は両者から集まります。「ペットを連れてくるなんで非常識だ!」「ペットも家族なのに・・・。」と。私が見聞きしたのは新聞やニュースだけなのですが、きっと避難所ではお互いにものすごい気を使ったりストレスとなったり、人によってはアレルギー症状に悩まれたことと思います。

 

 私の実家ではイッチャンという室内犬がいます。母にとってイッチャンは子供たちが巣立った後、膝の上で寝かせたり一緒にストーブで暖をとったりちょっとした話し相手だったりと大切な家族です。母曰く「ただかわいがるだけでいい存在」で、イッチャンはちょっとしたお犬様です。私自身はイッチャンとは一緒に暮らしていないのでイッチャンは実家の犬なだけ、けれどイッチャンのおかげで両親が楽しそうにしているのでお犬様様です。

 

 母は震災が起きた時に言いました。「うちにはイッチャンがいるからねぇ。避難所には行けないし。」と。母の中では大切な家族のイッチャンを置いて避難所に行く事はできないし、私の姉は幼少期に喘息発作がひどかったので避難所に集まる方への迷惑を思うと避難所に連れていくこともできないのです。娘としては犬よりも人間の命優先!!ですが、親子でも価値観が違うのです。

 

 避難所には価値観の違う人が集まります。ペットも大切な家族、アレルギー症状は身体的にかなり辛い。(喘息発作などがでる人は辛いだけではないのですが)どうしたらいいのでしょう???私にも答えはありませんが、家族にペットがいる人もアレルギーを持つ人もともに避難し生きていくことが重要だと思います。

 

できることとして、非常袋を準備するときにアレルギー持ちの方はマスクやアレルギーを抑える薬を用意する、ペットを連れて避難したい方もなにか対策はとれるのではないかなぁと思います。

 

 バナナもチェリーも小型犬のイッチャンを追いかけるのが大好きです。ただ残念なことにバナナは犬アレルギーなのです。以前は症状が全くなかったのですが、最近イッチャンと遊ぶと目は真っ赤になり鼻はグジュグジュになるようになりました。私も非常袋の見直しをします。

 

 

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〈第12回〉  「アトピー」

 バナナとチェリーはアトピー性皮膚炎です。少しずつ改善してきていますが、根気よくスキンケアをしています。アトピーのスキンケアの中にお風呂は欠かせません。汗や汚れをおとして保湿剤とステロイド剤を塗布しています。

 

 

 震災後、ライフラインは電気→ガス→水の順番で復旧しました。私は前震後、ライフラインの整った実家に避難したのでバナナとチェリーを毎日お風呂に入れてあげることができました。とてもありがたいことでした。しかし、実家のある場所も一時期大きく揺れていたのでライフラインが途絶える恐怖は強かったです。毎日の積み重ねのスキンケア、積み重ねた分それが崩れないかと不安になりましたが「生きていればそれでいい!また最初からケアしなおせばいい!」と思うようにしました。

 

 

 余震が落ち着き、アトピー外来を受診したときにかかりつけ医師に入浴できなった際のスキンケアについて聞くと「できるだけ体を清潔にすること。入浴できなくとも保湿剤と処方された薬を使用すること。」と話されました。私の避難袋の中にはお尻拭きを多めに入れています。水がなくても体を拭くことができるからです。そして普段使用している保湿剤なども置き場を決めて持ち出すものリストに入れています。

 

 

 たかがアトピー、されどアトピー。自分のことならば我慢できますが、子供が痒そうにし肌が真っ赤になるととても辛いです。

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<第13回>  「予防接種」

   震災が起きた時、チェリーは2ヵ月児でした。予防接種が始まった月です。震災が起こる3週間前に初めての予防接種をしていました。前震後に実家に避難し、今後の予防接種はどうするか悩みました。

 

 住んでいる地域は熊本市内で、ライフラインは途絶えたままでした。かかりつけ小児科は再開したと聞いていましたが、余震も続いていたのでいつ熊本市に帰れるかを決めかねていました。そして、益城や阿蘇の方やけが人でパンク状態の病院を思うと「こんな時に予防接種なんて受けていいのか・・・。」と申し訳ない気持ちになりました。けれど、もしまた大きい地震がきて避難所生活となった場合のことや予防接種を受けずに感染症にかかった場合の後悔、そしてなによりもチェリーのことを思うと受けられる時に受けたほうがいいと思うようになりました。

 

 定期接種の料金は市が負担して下さるため、まずは熊本市役所に避難先で予防接種を受ける方法を問い合わせました。震災直後の市役所に問い合わせをすることはとても心苦しかったのですが、職員の方はすぐに担当先につなぎ丁寧に答えてくださいました。

 

他の地域で予防接種を受けるためには、住んでいる地域の問診票が必要でした。それはFAXや郵便で送っていただきました。そして避難先の小児科に問い合わせ事情を説明し受け入れて頂けることになりました。

 

予防接種の薬剤は病院によって仕入れ先が違い、薬品名が違うことがありますが同じ内容の予防接種が受けられます。しかし、「ロタウイスル」に対する飲み薬だけは注意が必要でした。ロタウイルスの予防接種薬には「ロタリックス」と「ロタテック」の2つがあります。チェリーはロタリックスを使用していましたが、受け入れて頂いた病院ではロタテックのみを取り扱っていたのです。これだけは最初に使用した薬を2回目(もしくは3回目)も使わなければいけないそうです。予約の電話の際に「ロタウイルス」と言ったので、診察の際に医師が母子手帳をみて気づいて頂きそこからまたチェリーのためだけにロタリックスを入荷して頂きました。(心から感謝しています!)

 

市役所の方、受け入れ病院の方に本当にお世話になり滞りなく予防接種を受けることができとても嬉しく、そしてありがたかったです。その日から2か月後、熊本に応援に来てくださった名古屋の保健師さんから電話がありました。「チェリーちゃんの予防接種や3か月検診は受けていますか?」と。予防接種どころではない被災のひどかった地域のかたを思うととても罪悪感が沸いていましたが、やはり予防接種はこれから生きていくために必要なこと。電話を頂きやっと罪悪感が消え、感謝の気持ちだけの予防接種となりました。

 

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<第14回>  震災ゴミ

他県からのたくさんの支援を受け、道に溢れていた震災ゴミはきれいに片付きました。本当にありがとうございました!きれいに片付くまでに2ヵ月ほどかかったと思います。震災が起きてから驚くほどの震災ゴミがあちこちに積まれていました。

一番よく見たのはテレビです。そして棚・壊れた家電製品。見るたびにとても悲しくなりました。運転中に車から見える道路脇の壊れたテレビの山、道を歩いている時に見える家電や置物。昨日までは生活の一部であり、宝物であり、そして購入した当初は誰かの喜びや努力の結晶だったものが「ゴミ」として道にどどどどーんと置いてありました。それを見て過ごすことも辛かったです。 

 

私の周りにもテレビが壊れた人は多くいました。我が家はたまたまバナナが1歳なりたての頃にテレビを叩いていたため、倒れないように耐震シールを貼っていたため無事でした。しかし、テレビ台はロックしていたにも関わらず前震の際に激しく横にスライドしたため配線がぶちっと取れていまいBS放送を見るためのパーツが壊れました。そのくらいのことはどうもないことですが、ロックもしていたけれど想像以上の事が起こったことに驚きました。

防災のために棚や冷蔵庫に耐震用の棒を張ったり、テレビや思い家電には耐震シールを貼ることが勧められます。震災を体験し、これは怪我の予防だけではなく大切なものをゴミとしないことにもつながるのだなぁと感じました。

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